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物事に意味を見いださない


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『人にはどれだけの物が必要か―ミニマム生活のすすめ』(鈴木 孝夫、中央公論新社、1999:p177)に以下のように書いてある。

「科学はずいぶん進歩したようだけれども、私は社会科学から医学、動物学、植物学など、割合広くやって、この頃ハッキリ分った。人間には人間から遠いものほどよく分る。宇宙、火星、冥王星まで行くような宇宙船とか、日食がピッタリ当るとか、人間から遠いものを扱う学問は、もう信頼出来る。/ところが、学問は人間に近付いてくるほどインチキです。人間自身に関する学問は一番発達していない。哲学、医学の大半は信頼できない。心理学、教育学もデタラメ。学説や「常識」がコロコロ変る。だから、社会科学なんて言うな、と言うのです。」

もう一つ引用しよう。『立花隆の書棚』(立花 隆、中央公論新社、2013:p73)から。

「ぼくは精神分析の世界を基本的に信じていないから、正直あまりピンときませんでした。何と言うか、つけられた理屈があまりにもっともらしくて、いま一つ信用できない(笑)。[…]結局、精神分析の世界は、信じる人は深く信じるけれども、信じない人はさほど信じない。そういう世界のように思います。」

私は心理学系の本を読むことがあった。でも、最近はそういった心理学を胡散臭く感じるようになってきた。人の心はそう簡単には単純化できない、そう思うようになったのだ。

心理学や精神分析が行う、人の心を分析する行為よりも、脳の認識の仕組みに目を向けるほうがいいのではなかろうか。なぜなら、脳の認識のほうが個々の心理学や精神分析の上位概念だから。場合によっては下位概念はうまく利用すればいいが、上位概念の存在を忘れてはいけない。

上位概念の脳の認識を無視した心理学や精神分析は危険である。拡大解釈、ストーリーが一人歩きしたり、心の解釈のせいでがんじがらめになっては逆効果である。

精神分析では原因を探しがちだ。現在の心は、過去や性格が影響していることになる。現在の心が良くない状態なのは、自分が悪いからだ、自分の性格や過去に原因がある、と考えてしまう。

そういう自己を解消していこうとする心理学は、アクセルを踏みながらブレーキをかけるようなものだ。人は自己肯定感が高いときに変わることができ、成長でき、最も力を出せる。自分が悪いと思うと自己肯定感が下がり、心を良い方向に働かせるのが難しくなる。

この場合どうすればいいか。

脳の基本的な認識の一つとして、「意識したものしか見えない」というものがある。現在の自分のうまくいってない心の状態に目を向けるのではなく、「こうなりたい」という状態に目を向けるのだ。原因探しなんかやめて、なりたい自分を意識する。これだけで、思考パターンが変わりいい方向に向かう。

そう考えると、我々は意味のないことに意味を与えすぎだと思う。私が会社員時代に嫌だったのは、会社が意味のないことに意味を与えてばかりだったこと。現象そのものの意味を理解せず、慣習や習わしに無意味に従っているのが非常にバカバカしかった。

心の状態も同じである。特に心に意味なんてないんだよ。たまたま認識がそっちへ向いているだけ。意識を変えれば心は簡単に書き換えできる。

もし意味を与えるとすれば、自分を制限する方向ではなく、自分がパワーを出せる方向で意味を与えよう。もちろん、本当は意味がないことを頭の片隅に置いた上で、自分が元気になり、活力を与えられるような考えを持てばいい。その意味で自己啓発は悪くないと思う。


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