[読書メモ]『ワクチンは怖くない』

p30
戦後まもなくできた予防接種法には、予防接種には副作用は起き得ないという「ゼロリスク信仰」がありました。接種後、人に有害事象が起きてもそれはすべて「その人の特異体質」の一言で片付けられていたのです。

p31
「予防」と「治療」の線引きは案外、難しいものです。

p39
最初から「ワクチンはよくない」という結論ありきの議論をしてはいけません。

p39
立場をつくってしまうと、自分に都合のよいデータばかり引用し、都合の悪いデータを無視したり矮小化したりするようになります。

p75
自分の都合の良い結果だけを抜き出した「チャンピオンデータ」

p75
「サイコロをたくさん振って、ゾロ目がでたときだけのデータを取り出して『サイコロを振ればゾロ目がでる』と主張しているのではないか」

p77
朝日新聞のようなメディアは人名の間違いや差別用語の使用といった、形式的な正しさには執ようなまでにこだわり、間違いを恐れます。間違った場合はすぐに謝罪もします。しかし、記事全体の「大意」を読み誤るような場合にはほったらかしです。

p78
医学者やジャーナリストにとっていちばん大事なのは真実に誠実であることです。たとえ、その真実が自分の仮説や信条にマッチしなかったとしても、それを隠蔽や歪曲や矮小化をせず、まっとうに報告するのが職業人としての当然の態度なはずです。

p79
私が知るかぎり、日本のテレビ報道関係者や新聞記者で、科学的発表や、科学論文を批判的に吟味できる人はほぼ皆無です。吟味どころか、論文そのものを読めない、読まないという人も珍しくなく、科学部の記者ですらそうです。

p82
昔だったら、こういう大本営発表でも通用したのです。しかし、ブログやツイッターといったソーシャルメディアの発達で、ラージメディアのできない「ツッコミ」を誰でもできるようになりました。

p84
もともと、日本のテレビや新聞は「はじめに結論ありき」の報道姿勢を貫いており、悪い意味で首尾一貫しています。だから、自分にとって都合の良いデータは報道しますし、しばしばそれを誇張します。その反対に、都合の悪いデータは黙殺するか、矮小化します。

p97
我々が「自然」というとき、それは母なる大自然というときの、nature とか natural という意味を含んでいるからです。

p224
集団の健康のために個人の健康を犠牲にしてもよい、という国家主義、国家優先主義は絶対に許容してはならないのです。国民のために国家が存在するのであり、その逆であってはならないのだから。

p225
繰り返します。予防接種の目的は個の健康「だけ」にすべきです。集団の健康は個の健康が集積された余剰産物に過ぎません。

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